編集王に訊く43 『楽園 Le Paradis』編集 飯田孝さん
「常に考えているのは『生き延びること』」
「恋愛系コミック最先端」をキャッチフレーズに2009年創刊したコミックアンソロジー『楽園 Le Paradis』(白泉社)。美意識あふれる誌面を彩る、個性豊かな連載陣をたった一人でまとめ、10年以上編集を続けているのが飯田さんだ。本連載記事には14年ぶり二度目の登場となるが、その熱量は今年9月に定年退職を迎え、フリー編集者として歩み出す今なお衰えない。未踏の地を切り拓き続けるプロの言葉を訊け。(取材/吉田雄平、中村公彦、会田洋 構成/吉田雄平)
一人編集体制の誕生
——飯田さんには06年『メロディ』の編集長に就任されたばかりの頃に、本インタビューに登場していただいていて、2回目になります。まずは『楽園 Le Paradis』(以下、『楽園』)の企画を考えたところからお話を聞かせてください。
私が『ヤングアニマル』の副編集長になったばかりの97年夏、『楽園』という『ヤングアニマル』の増刊が出ました。「ベルセルク」のTVアニメの10月スタートが決定し、直前の冬に連載開始した「ふたりエッチ」の効果もあって実売が上向いてきた。そこで3年半ぶりに増刊を出すことしたんですね。その誌名を編集部内で無記名公募して、投票したら私が提案した『楽園』が1位になったんです。
その増刊は軌道に乗ったら年6冊ぐらいでやろうと考えてたんですけど、2冊出したところで『ヤングアニマル』が好調なので、会社の上の方が「増刊を年数冊出すよりは、1年に24冊も出る本誌のページを増やして厚くしよう」と判断してくれて。自分としても載る作家・作品が増えるから嬉しいし、それはそれでいいなと。
ただ一方で、本誌と別の方向性の増刊があれば『ヤングアニマル』の幅が広がるんじゃないかとはずっと思っていて。そこから白泉社に新たなブランドになるような雑誌を一つ立ち上げて、会社の間口を広げられないかと考えるようになったんです。最初のイメージは『フィール・ヤング』の青年誌版みたいな、恋愛が主体かつ、男性読者にもしっかり届くような作家を集めた本でした。01年に『ヤングアニマル』から書籍編集部、コミックス編集部に異動した後は毎年のようにその本の企画を書いては出していたんですけど、全然通らなくて。そうこうしてる内に06年に『メロディ』編集長の辞令があったんです。
——そこで『楽園』の企画から遠ざかってしまうみたいな、焦りみたいなものはありましたか?
全くないと言えば嘘ですけど、一旦おいて『メロディ』を全力でやりました。当時の社長・坂口さんに編集長に任命された時に「私は常日頃から、マンガ雑誌の編集長は30代後半くらいの人にどんどん任せて、経験を積ませていって欲しいと言ってました。46歳になる自分が編集長になるのは、その話にもとりますから、上手くいってもいかなくても3年で」と、お伝えしたんです。
その話通り3年で『メロディ』からコミックス編集部に戻して貰って、『楽園』の企画が通ったのは09年。坂口さんの次の青木社長が強く私の企画を推してくれて出る運びになりました。もう50歳手前でしたけど、編集的な人と人との仕事、マネージメントっていうのは経験値ですから、自信はありましたよ。リクルートを作った江副浩正さんの言葉に「マネジメントの才能は、幸いにも音楽や絵画とは違って、生まれながらのものではない。10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない」というものもあります。『メロディ』をやらせて戴いたことで身についたものが沢山あった。だから遠回りだったとは思ってないですね。
——『楽園』の特徴として一番に言われるのが、飯田さんがお一人で編集されていることだと思います。これは当初から考えてたんですか?
97年に『ヤングアニマル』増刊で隔月刊を考えていた時は、専従じゃなくて良いからスタッフ二人付けてもらえば作れると考えていましたが、書籍編集部に異動した頃には雑誌が売れなくなってきて隔月刊はコストが厳しい、年4回刊で自分と、もう一人くらいだなと。さらに数年後、『楽園』の企画を書いた時には、編集は一人で出来ると判断してました。
一番大きいのは技術の進歩ですね。デジタルデータの原稿が増えた上にアナログ(紙)原稿の方もスキャンしてそこに依頼した写植を流し込んでくれるようになった。私、原稿がだらしなく見えるので写植が傾いているのが嫌いで。なるべく写植を垂直に、微妙な個所はズレないように定規を当てて貼ってたんですけど、その作業がホントに辛いし時間もかかっていたんです。
——年3回刊というペースは珍しいですが、どう決めたんでしょうか?
まず私の感覚として作家、特に女性は2か月サイクルでお仕事してる方が多いなと思ったんですよね。それは隔月刊の『メロディ』を編集した経験も大きいです。そうすると季刊の3か月サイクルだと載ったり載らなかったりになりかねないなと。
最初に『楽園』本誌は、ゲスト以外一度載り始めたら休載なしと決めていたんです。そうしたのはマンガ雑誌が売れなくなった理由の一つに、休載が多すぎることがあるんじゃないかと。それって買ってから「あの作品の続きが読めると思ったけど、この号には載ってないのか…」っていう辛さがあるじゃないですか。読者としては「好きな作家がこの雑誌に描いてる」イコール「常に載ってる」であって欲しいなと。編集としても他誌で既に描いてる方に「描いて戴き始めたら毎号ずっとお願いしたいんですが…」と言うある種、図々しい依頼をする時「ウチは年3冊だけですから」と言えるのは大きかったです。
ただ、最初からWEB増刊を年3回やるつもりだったので、ペースとしては年6。2月6月10月に本誌が出て、間にWEB増刊を3月から4月、7月から8月、11月から12月に展開して、一つの流れが出来ると考えてました。
——WEB増刊はどんな立ち位置ですか?
原価を考えると本誌のページ数はそう増やせないんです。つまり、どなたかが載ったら、どなたかは載せられない。すぐに載せたい作品が急に出てきても、本誌が埋まっている。その点、WEBには予算の制限はあってもページ数の制限がありません。また、先ほどご説明した通り、本誌は休載なしでお願いすることになるので、作家に「ずっと描けるか自信がないです」と言われることもあります。そうした時に、WEBにはその縛りがないので「まずはWEBでいかがですか?」という提案が出来るのも良いですね。
『楽園』は個人書店
——「恋愛系コミック最先端」という印象的なキャッチコピーはどう生まれたんでしょう。
企画が通って準備を始める段階で、販売部からの希望で考えたものです。売るにあたって「友情努力勝利」とか「読むと元気になる」とか、キャッチコピーが欲しいと言われて、「じゃあ『恋愛系コミック最先端』で」と即答しました。恋愛系のマンガを集中して読めて、作家の性別も関係がなく、読者も男女半々くらいが理想の本、ということで。
ただ、中には「これって恋愛系…?」って感じる作品があるとは思います(笑)。そこはいろんな形の愛でいいんです。あさりよしとおさんに原稿を頼みに行った時は「ロケットお好きでしょう。ロケットへの愛、宇宙への恋をお描きになりませんか」とお話しして。「どんな本を目指しているんです?」って聞かれたので「談志の落語みたいな本です」って答えたら笑ってました。つまり自由自在に、私が今読みたい作家を集めた本なんです。
『楽園』は投稿や持込を募集していなくて、私が本当に良いなと思った方にだけお声がけしました。だから私の個人書店みたいな感覚に近いかもしれません。それぞれの作家は色合いが違いますけど、この人と仕事したい、作品が読みたいって気持ちは同じです。それがないと相手と話していても伝わらないし、失礼だと思うんですよね。
——お一人でやってるメリットとデメリットはどんなところにありましたか?
メリットは編集会議がいらない、逆に言うと常に自分の頭の中で編集会議をやってるようなものですから。あとは連絡の齟齬がないし、作家に確認が必要だなと判断したら、基本その場ですぐ確認が出来ることですね。判断が早いので、よく感謝されました。販売担当から『楽園』は話が早いからって、展示やサイン会、トークイベントの話を持ってきてくれたり。私も書店が、読者が喜んでくださるならやりましょうと応じて。
一人のデメリットっていうのは感じたことはないです。それに確かに編集は一人でしたけど、多くの方に関わって戴いてるんですよ。まず販売、制作、宣伝、製版所、印刷所の担当の方。さらに海外版権課、電子版、マンガアプリの担当の方々もいる。経理の人にだってお世話になっているわけです。
例えば創刊の時、お金が勿体ないから『楽園』の宣伝はいらないって言ってたんです。そこでびっくりしたことがあって、1号目の予定部数に対して決定部数が5千部増えたんですよ。聞いたら当時の販売担当が気風の良い女性で、「飯田さん宣伝いらないって言ったじゃないですか。だったら最高の宣伝って店頭に本があることですから、積みました」って。それで実売が予定部数を超えたんです。これは本当にありがたかったですね。
30年リーダビリティ
——出版不況で紙の雑誌が減っている中、出版し続けられている理由の一つには、入社してすぐに販売部に配属され、9年間本を売ってきた経験や感覚も生きてるんじゃないでしょうか。
私が販売で現役だったのは本がとても売れてた時代ですから、その経験は全然あてにならないですよ。ただ、売れ方が分からない時代だからこそ、コストの事は真剣に考えてます。コミックスの一冊一冊の原価計算もそうですし、一人で編集してきたのもそういうことです。
その中で電子書籍版が出るようになって、読者が広がったのは心強く感じてますね。『楽園』が11年前に出た頃は端境期で、電子版は第1号刊行から3年半ぐらいしてからでしたけど、今は作家や作品によっては、電子版が紙に迫ってくるぐらい、しっかり売れてます。
凄いなと思うのは、紙の場合だとコミックスの売上って、1巻2巻3巻って進むにつれ落ちていくんですけど、電子はほとんど同じなんですよ。1巻と3巻の売上を比べると50冊も変わらない作品もあるくらいです。電子の読者は一度認めてくれたら、作品をまとめて買ってくださる。ありがたいことですね。
——マンガの売れ方が変わってきている状況に対し、どんなアプローチを考えてらっしゃいますか。
「知らない人にとって今そこにある本は、25年前の本だろうと新刊だ」と昔から言っているんですが、電子はその傾向が特に強いと思っています。新旧、出版社、レーベルすら関係なく、完全にマンガっていう一点だけで並べられていて。そこで埋もれずに買って読んでもらえる作品をどう作るかなんですよね。
その中で自分が考えているのは「30年リーダビリティ」、つまり30年後の人が読んでも面白いマンガ。それを作っていれば、売れ行きが止まることはないんじゃないかと思っています。複雑に聞こえるかもしれませんが実はシンプルな話で、感情を揺さぶられるものや、人と人との恋愛を描いたもの、そういった物語は時代を問わないということです。難しいのは描きたいものが作家の中にあるかどうかです。
『楽園』は年3ペースとゆっくりなので、そういう作り方と相性が良いと思っています。その手応えは紙のコミックスの売上でも感じていて、5年、6年目で初めて重版がかかるケースもあります。
——毎号本当に素敵だなと思うのですが、表紙にシギサワカヤさんを抜擢した理由はありますか?
一番はやっぱりシギサワさんの絵の力です。こちらの表紙のイメージに応えてくれる絵が描けるし、新しく出る本なので、他の雑誌で表紙をやったことのない方というのも条件でした。
通常のマンガ雑誌の表紙と違うのは、書籍扱いだからなんですけど、ロゴがバーンと入っていなくて、文字情報もほとんどないところです。書店でシュリンクされる前提で考えて、裏表紙に作家全員の名前と作品名とページ数を入れることにしました。好きな作家の名前があって買ってみたら、「なんだ4ページかよ」とか、作品も「○○の続きが読めると思ったけど違うの?」ってことがある。だから外側にすべての情報があるようにと。そういうアウトライン的なもの、コンセプトはコミックスも含めて、自分で考えました。このコミックスはこういう作品だからイメージに近くなるように、こういう紙を使って、こういう加工をして、原価をこれくらいに収めてと。そこを先に考えた上でデザイナーさんと打ち合わせしてきました。
——panpanyaさんやイトイ圭さんの単行本は、作家さんご自身が装丁をやってらしていて驚きました。
お二人は同人誌の装丁を見て素晴らしいなと思ってお願いしました。ただ出来る方は限られますので、他は川崎昌平さんくらいです。作家にお願いした場合、本来デザイナーにお渡しするデザイン料の分、変わった紙を使ってみたりとか、印刷加工費に使えたり出来ます。装丁のそういったことは会社が電子出版100%で紙は出さないよってなったら意味がない拘りかも。ただ紙でも出せて、欲しい読者、売ってくださる書店がある内は、しっかりと、紙で買ってくれた人が嬉しくなるような本を作りたいと思ってます。
大事なのは読んで自分が面白いと思うか
——マンガを編集する上で、飯田さんのポリシーを教えていただけますか。
マンガだけじゃないですけど作品は描かれていることが全てですから、作品になってない設定を送ってこられても、傲慢かもしれないけど私は読みません。とにかくネームを描いてください、いきなりネームが厳しければプロット、あらすじでもいいですと言ってます。読者も知らない設定を知ってるのは良くない。
そういうことを求める編集や求める雑誌はあります。作家がキャラクターの設定を全部決めてなきゃ描けないのなら止めません。ただそれが絶対条件ですと言われた場合は「申し訳ない、この話はなかったことに」って。それぐらい私は読まないです。もちろん設定の段階から相談したいって言われたら、聞くことはありますけど、基本的には話の骨格と流れ的なことだけですね。大事なのは読んで自分が面白いと思うか、スッと読めるかどうかだけです。
——読み込みつつ、客観性も持たないといけない。「面白さ」の判断って本当に難しいと思うんです。コツはあるんでしょうか。
戴いたネームは最低3回読むのと、読むのに間を空けます。立て続けに何回か繰り返して読むと、どんどん自分のなかに蓄積してきて、分からないところが分からなくなるんです。「何で俺このネーム、ダメって思ったんだろう」「どこが分からなかったんだっけ」って。だから合間に他の仕事をやったりして、また読んで。そうすると三度目くらいに「ここが引っかかるんだ」と分かってくる。
良いネームは一度で分かるっていいますけど、「天才か!」みたいに1回でOKだと思う時もありますよ。位置原さんとかそうですね。でもやっぱり最低3回は読みます。そうすると「ここが凄く良いと思ったけど、こことここも凄く良いね」って分かってくることもあるので。
もちろん4回、5回読んで更に見えてくるものもあります。「最初読んだときに見えないものは意味ないんじゃないの」って思う方がいるかもしれないけど、あるんですよ。読者の多数はもしかしたらサーッと読んだり、読み飛ばすかもしれない。けど一方で私より深く読んで、繊細な表現を拾い上げてくれる読者もいるんです。ただ、私がそういう読み方を基本にし始めちゃうと、たぶん編集として作家との距離感も、作品の打ち合わせも、本もおかしくなってくると思います。だからしっかり読んでますけど、読みすぎないようにはしてますね。
——「ダメだ」って感じた時に作家さんに伝える時、編集者の力量が問われますよね。
作家の持ち味がしっかり出てるのに「このままではダメだ、なぜこれはボツなんだろうか」と考えないといけない時は、やっぱり胃が痛くなるぐらいつらいです。その時に「ごめんなさいこれは、こういう理由でダメです」ということを、相手にどう伝えるかが大事。「納得はできないけど、あなたの理屈は理解したよ」とまでは思ってもらえるように、言葉を尽くして上手くお伝えすることが、編集の一番大変な仕事だと思います。
——そういう時に編集側が、ボツとは言いにくいから、気になった細かい部分だけ修正して貰ったら、さらに悪くなってしまった…ってパターンがあるじゃないですか。どうすれば回避できるんでしょうか。
細かいことを言うんじゃなくて、その人の持ち味があるかが大事です。それをその人と話ができて、引き出せるかどうか。石に例えると「この尖がりいいね」っていう部分を「あ、これ危ないから削ろう」とやっていくと、皆たしかに玉のように丸くて、美しいかもしれないものになっていく。でもそうすると、どれも大小違うだけで同じになっちゃう。私としてはできれば「この尖がりいいなあ」というのを大事にしたい。無くそうとは思わないですね。ただ、その尖がりを編集が磨いて鋭利にしようとすると、折れたりしかねないので要注意です。
つまり持ち味、才能は触れば触るほど、殺すことにもなりかねないんですね。そういう意味でも細かいことはあまり言いません。もちろん「てにをは」の確認とか、ここの言い回しはこの方がいいと思いますみたいなところは言いますよ。作家が間違えることもありますから。
——興味深い話として、イトイ圭さんの「花と頬」は何社にもネームを持ち込みしたけれども、総じて「商品として成り立っていない」というダメ出しをされて上手く行かなかった。それを飯田さんは直さず出版して。結果、文化庁メディア芸術祭マンガ部門の新人賞をとったという。
「花と頬」にそれを言う必要がなかっただけです。私は作品に対して「商品にして欲しい」みたいなことは言ったことないし興味もありません。一方で、そういうノウハウを元にメジャーなマンガがいっぱい生まれているのも事実ですから、正しい一つの考え方だとは思います。
いよいよ「花と頬」を描き始める直前、イトイさんから改めてネームが送られてきたんですよ。読んだら15〜6か所修正されてるところがあって、読んですぐ言いました。「もしかしたらだけど、他の編集に直した方が良いって言われたところを直してない?」って聞いてみたら、やっぱりその通りで。ご本人的に言われたことが気がかりだったんでしょう。それを全て読んだ上で言いました。「絶対に元のネームの方が良いです。こんな風に説明しなくても読者には伝わりますから」って。もちろん、どこであれ前より良いネームになっていれば、ここは良いねって言いましたけど、ことごとく悪くなってたんですよ。それで全て戻して戴きました。
定年退職の先に見えるもの
——今年の9月で白泉社を定年退職され、今後は業務委託契約として『楽園』の編集を続けられることになったそうですね。
私自身は定年後も『楽園』を続けるつもりはありましたし、立場は変わりましたけど実際にやることは変わらないんです。ただ会社員として36年半勤め上げて、一身上の都合でもなんでもなく無事に定年退職した。そのことは思った以上に気が楽になったというか。ひとつピリオドを打った感じはしてます。
社内外で「編集長」ってよく言われていましたが、私自身はそう名乗ったことはなくて、「編集人」と言ってました。雑誌じゃない書籍扱いのアンソロジーで、編集長っていうのはおこがましいと思って。
——もし長期間体調を崩したら終わりかねない体制ですから、常に緊張感があると思います。これまで10年以上、そのテンションを維持し続けてらっしゃっていて凄いなと。
『楽園』の企画が通ったその瞬間から、バイクで遠乗りに行くのを止めました。健康にも留意して、もともと心臓があまり強くなかったんですけど、2年ほど前に医者に頼み込んでステントを入れたら、本当に体の調子が良くなって。結果、2年前に比べて仕事のスピードが3割速くなりました。だからテンション維持というか、仕事で一番大事なのが健康だと思います。
ただ私も疲れている時、気持ちが滅入ってる時とかはありますよ。常にこのテンションではないですけど、それでも『楽園』を辞めたいと思ったことはありません。それは好き勝手にやれてるからじゃないです。単に自分が読みたい本を作ってるとか、好きな作家に「描きたいものを描いてください」って言ってるだけだったらきちんと売れるもの、読者に届くものにはなりません。当たり前だけど、私と仕事をしたいと思ってくれるような関係を作って、目の前の作家が本当に描きたいものを見つけること。そしてそれが書店の手を経て、読者が買いたいと思ってくれるものにどういう風にしたらなっていくのか…。
それらを集約すると常に考えているのは「生き延びること」なんです。生き続ける、出し続けていくために売れてなければダメだし、作家にちゃんと描いてもらえなければダメ。読み切りだったら毎号ですけど、最終話というゴールまで、作家にどう描き続けてもらうのか。
——今後、『楽園』は何号ぐらいまで出したいですか?
以前、蒼樹うめさんに「90歳のときに124号なんで、そのあたりを目標に本を作りたいですね」って言ったらとても喜ばれて。その時書店特典用に描いて戴いてた「微熱空間」のヒロインが寝そべりながら『楽園』コミックスを読んでいるイラストが、完成したら積んである『楽園』が124号に(笑)。
先のことは分かりませんが、何にせよ終わるときはきちんとした形で綺麗に終わるのがいいんだろうなとは思っています。現時点では、会社判断として成果が出てないとか、採算が合わないみたいな判断を下されない限り、これまで通り全力で続けるだけです。
「定年はサラリーマンのフリーエージェント」と言っているんですけど、これまでだったら難しかったような仕事も出来るようになって、色々とお声がけを戴いたりもしています。作りたい本は『楽園』で十分やれてますが、他にやりたいことはありますし、会いたい人もいっぱいいます。新しいこと、面白いことにも挑戦していきたいですね。
(取材日:2020年10月14日)