COMITIA64 ごあいさつ

先日とある作家と話していて、「中村さんはプロとアマの違いとは何だと思いますか?」と質問されました。

これだけその境界線が曖昧になっている時代に、あえてプロとアマチュアを区別するのは難しいことです。「商業誌に載る」とか「それだけで生活している」とか、その作家の立場から何らかの線を引くことは可能かもしれませんが、「一本の作品の質的な違い、作家の技量を区別できるか?」という点では疑問が残ります。
その時は曖昧な返事しかできなかったのですが、ずっとその疑問を引き摺って考え続けて、ふと思い至ったのが「読者との距離感の違い」でした。
この場合、前述した一般的なプロの定義とはまったく意味が異なります。
たとえば、幾人かのプロの作家と話をしていて、作品を「どう読ませるか」という方法論・演出論の部分で揺るぎない自信を感じることがあります。
恐らくその作家には「こう描けば、こう伝わる。」と、読んでいる読者の顔が経験的に「見えている」のだろうと思います。それはきっとそこに至るまでに厳しい生存競争を闘いながら、膨大な作品を描き、キャリアを積んだからこそ身についた技量でしょう。そうした意味では、商業誌に載っていても、まだそこまでの段階に達していない人もかなり多いと思います。
一方アマチュアの場合、まず自分が読者です。何より自分が描いて納得するのが大切ですし、もやもやしたアイデアを作品の形にまとめるのが精一杯で、読者のことまで意識が回らなくても仕方ないかもしれません。
その代わり同人誌という発表媒体では、熱心な読者の方から作者の意図を深く読み込んでくれるケースもあります。それはプロから見るとぬるま湯に見えるかもしれないし、逆に作者と読者のたいへん幸せな関係なのかもしれません。
実はこんなことを考えたきっかけは、あるプロ志望の作家の投稿作を読んだ時の感想の遣り取りからでした。それは私にとっては充分に面白い作品でしたが、「雑誌に掲載された場合どう映るだろう?」という視点から見ると気になるポイントがありました。雑誌のマンガスクールの講評などにありがちな言い回しを借りると「魅力的なアップが少ない」のです。折角とても素敵な表情を描きながら、その見せ場のコマが小さいのが、どうにも勿体なく思えました。これでは他の多くの作品に埋もれてしまいます。
読者との距離をつかめずに萎縮してしまい、ここぞというところでアップが上手く描けない。決めのセリフを印象的に伝える術がわからない…。けれど一方で、それさえつかめれば、その作品は劇的に魅力的になるはずなのです。
たとえば役者が舞台で演じる時、ストーリーの山場で「見得を切る」シーンがあります。意識的にテンションを上げ、声を大きく、舞台から身を乗り出すように客席をキッと睨む。観客の目を舞台上の自分に集中させる見せ場です。客もまたこの瞬間が見たくて、劇場に足を運びます。
そうした計算が経験的に自然に出来るようになることが、「プロの技量」というものなのでしょう。そのレベルはものすごく高く、そこに至る道は険しいけれど、プロを目指すかどうかは別に、その「高み」そのものは一つの目標として意識していて欲しいと思うのです。
「読者はあんたのファンじゃないのよ。頑張って読んでくれるなんて思わないことね。」(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」より/ティアズマガジン64「創作する言葉」参照)

もう一つ、ニュースがあります。久しぶりにパーソナルコミックスが出ることになりました。おがわさとしさんが14年前に描いた伝説の名作「パピリオ」とその続編「帰郷」を1冊にまとめました。『CLASSICS』とは「復刻」という意味を込めて付けました。
ファンタジーとは「世界」を描くもの。それは普遍的な世界観を提示することに通じます。その意味で、この作品はまさにファンタジーの傑作であり、だからこそ時を経てもけして色褪せないことを実感してください。
なお、おがわさんは展示18abのスペースで参加しており、同時期に商業出版された『京都 虫の目あるき』(とびら社刊)の原画展示も行なっています。ぜひ、スペースにお立ち寄り下さい。

最後になりましたが、今回は過去最大の直接1594/委託105のサークル・個人の描き手が参加しています。
その中にはきっと数は少なくとも、プロではないが、プロと同質の技量を持つアマチュア作家(?)もいることでしょう。そして、そうなりたいと願う作家ももっとたくさんいることでしょう。どうぞ彼らにとっての良き読者となって、成長を長く見守ってください。それはあなたにとっても大いなる喜びになることを信じています。

2003年5月5日 コミティア実行委員会代表 中村公彦