いま、マンガ好きの一部で熱く盛り上がる、NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を、私も夢中になって観ています。
モデルとなった水木しげる氏(御年88歳)の代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などをリアルタイムで読んだ人はもう少ないかもしれませんが、太平洋戦争で片腕を失い、隻腕で描かれるその作品群の独創的な面白さと怖さ、何より圧倒的な画の迫力は多くの人が知るところでしょう。
ジャングルなどを描いた恐ろしいまでの画面の密度は、実際に南方での従軍体験があってこそ、ああまで描かずにはおれないのだろうなと思わせます。印刷に出るかどうかなど度外視した、偏執的な点描とカケアミで埋められた夜の闇だからこそ、その中に見たこともない妖怪が潜んでいるような気にさせるのでしょう。
この物語は、高度成長期の昭和30年代以降の東京を舞台に、マンガ家・水木しげると、彼の才能を信じて支え続ける妻・布美枝の波乱万丈の人生を描きます。同時に、貸本から雑誌へ移行するマンガ出版の激動期に翻弄されつつ、懸命に生き抜くしげるとその関係者達のドラマでもあります。
斜陽化する貸本業界の中で、貧乏したり、裏切られたり、挫折したり、共に夢を見たり…。実在の人物をモデルにした彼らの行動や言葉はやはり胸を突きます。その明暗がそのまま、いまの私たちが享受する、後のマンガ界の繁栄につながることを知っているからです。
しげるのマンガの一番の理解者である貸本版元・北西社の戌井は、「悪魔くん」を激賞して出版しますが、売れずに返本の山となり、二人で失意の日々を過ごします。けれど数年後、その「悪魔くん」がテレビ化された夜、しげるが戌井に電話で伝えた感謝の言葉と見えない涙に、胸が熱くなります。他に登場する派手な編集者達の中で、戌井は何をやっても上手く行かない三枚目キャラなのに、その愚直なまでのマンガ愛に心震わせずにはいられません。
一方で、『少年マガジン』がモデルの週刊誌『少年ランド』編集者・豊川が、異端の水木作品に惚れ込んだ台詞「いいなあ!この味のある絵。ザラッとくるなあ!水木しげるは…。」 この「ザラっとくる」形容にシビレます。
元『ガロ』編集長の故・長井勝一氏がモデルの嵐星社社長・深沢は、自社で発表した「墓場の鬼太郎」(のちの「ゲゲゲの鬼太郎」)がメジャー誌の『少年ランド』に載ることになり、不満げな社員に「良いマンガがたくさんの読者に届くのは良いことじゃないか」と屈託なく喜ぶのです。
こんな熱いエピソードが毎日のように登場するのですから堪りません。秋の終幕までハラハラドキドキしながら観続けることになりそうです。…と、このまま「ゲゲゲ」賛歌で終わるわけにもいかないので、強引に話をつなぐと、この時代のマンガ出版の大きな変化は、いまのマンガ業界が直面する事態とよく似ている気がします。
今年は電子書籍元年などと云われ、既存の紙の雑誌はシェアを奪われると、戦々恐々としているようです。それは新しい雑誌メディアに駆逐された、貸本業界を思わせないでもありません。往時は、ただ読者が貸本より雑誌を選んだだけでなく、描き手もこぞって雑誌に移行したのが、貸本文化の灯を消した一因でした。
水木しげる自身、復員後、紙芝居画家→貸本マンガ→雑誌と否応無しに転出を余儀なくされます。その過程で、水木はつねに思慮深く時代を読み、ある時は意識して作風を変え、無理と思えば大手からの注文も断り、自分の行くべき道を定めます。そこに彼の作家としてのしなやかさとしぶとさを見るのです。
電子書籍に限らず、WEBはすでに私たちの生活を根本から変えてしまいました。ただ、その大波に翻弄されるのではなく、それぞれが何をどう描き、どう発表するかを、旧来の常識に囚われずに選んでゆかねばなりません。
出版社の人はいまもよく「(書店の)棚を取りたい」と言いますが、それはマンガが右肩上がりだった時代の、「数を撃てば当る」という大きなロスが許された頃の発想です。ダウンサイジングが求められる現在は、発行点数を絞り、1冊1冊を丁寧に作り、丁寧に売ってゆかなければ、出版社も書店もマンガ家も生き残れないでしょう。
メディアという入れ物は時代に連れて常に変わる。その中で生き残るものは、形を変えてもきっと生き残る。そういう信念が大切だと「ゲゲゲの女房」を観ながら思いを新たにする毎日なのでした。
最後になりましたが、本日は直接2002・委託89のサークル・個人の描き手が参加しています。今回も約450のサークルが落選しており、たいへん申し訳なく思います。次回の11月は拡大開催で落選はない筈なので、ぜひまたご参加ください。
あらためて、ここコミティアも、連綿と流れる戦後60余年のマンガの歴史の中にあります。多くの参加者の方に、「ザラっとして」人の記憶に残るような作品との出会いがあることを心から願っています。
2010年8月29日 コミティア実行委員会代表 中村公彦