編集王に訊く34 『モーニング』編集長 島田英二郎さん
1982年の創刊から変わらない「読むと元気になる!」のキャッチフレーズの通り、『モーニング』は常にバイタリティ溢れる誌面で青年マンガ誌をリードしてきた存在だ。2010年から編集長を務める島田英二郎さんは、同誌を舞台に数々のヒット作を担当してきた名編集者。編集長にとって、そもそもマンガ雑誌とは何か? 編集者とは何か? そしてプロとは何なのか? 時代を超える問題に答える、大ベテランの声を受け止めてほしい。(聞き手・吉田雄平/構成・会田洋、中村公彦)
編集者の仕事が変わりつつある
——島田さんは90年に講談社に入社し、20年以上『モーニング』編集部でご活躍されているそうですが、編集者になろうと思ったきっかけは何だったんでしょうか。最初は消極的な理由で出版社を志望したんです。きっちりした会社はイヤだなと思って、自由そうなマスコミ系の中で出版社が一番楽そうでいいなと。当時はバブルで就職活動は売り手市場だったので、今とは感覚がかなり違いましたね。
最初に配属されたのは『週刊現代』でしたが、役立たずなうえに態度が悪かったせいか(笑)1年半で『モーニング』に異動になりました。『モーニング』は社内の変わり者を積極的に採っていたフシがあったんですよね。当時からマンガは作家さんとの打ち合わせが大変だと聞いていて、やりたくないなと思っていた記憶があります。
——実際にマンガ編集者として作家さんと接してみて、教えられたことはありますか。
創作は執念の世界だということですね。1個のモノを作るのにどこまで執念を燃やすか。作家さんによりけりですけど、その執念が強い人ほど良い作家でした。それに付き合うのが編集者ですから、やっぱり大変でしたね(笑)。
黒澤明作品の脚本家で、95歳の今も現役の橋本忍さんの言葉に、「創作に才能はいらないんだ、執念だけだ。『これだっ!』てセリフが出るまで粘る奴の勝ちだ。そこに才能は介在しない」というのがあって、それに近いものを感じてきました。最終的により万人に受けるものを創造するのは、天才じゃなくて執念のある普通の人なんです。
——編集者の仕事は、その作家さんの執念を打ち合わせでどう引き出すかということでしょうか。
まず「作品が出来る前」と「作品が出来た後」で大きく線を引いて考えると、本来的には編集者の仕事って原稿を頂いてから先にあるんですよ。切り詰めて言うと、編集者の仕事は「原稿取り」です。原稿を持ってきて、印刷所に入れて出版すること。その手前の打ち合わせは、編集者の作家さんに対するサービスとして始まってるんです。本来はその作業にはお金は発生していなかったはずなのです。
50年くらい前に週刊誌ができた頃から、週刊ペースで描く作家さんの負担を減らそうということで、「作品が出来る前」の打ち合わせの比重が増していったんです。本来サービスとして始まったことが、今ではマンガ編集者の中心的な仕事として捉えられるようになりました。その過程で、編集者も作家さんも、必ずしも天才じゃなかった人たちが一緒にプロとして成長してきたんです。
だけどこの10年ぐらいで顕著になってきてますけど、実は打ち合わせの比重はかつてに比べれば減りつつある印象をもっています。それには2つの理由があります。1つ目は、とにかく天才的な作家が増えたということ。ある意味、天才によって成立する市場というか、相当な天才以外は売れづらくなってきたと思います。
2つ目は、ここ10年くらいで「作品が出来た後」のプロモーションの部分の比重が急激に増えたことです。昔は雑誌に載せたあとのプロモーションの方法といったら、要は単行本の宣伝をするぐらいだったのが、今はどうやってメディアミックスするか、タイアップするか、そしてもちろんウェブ上でのプロモーションとやることがテンコ盛り。社内の他の部署と協力して、少量多品種生産の業界でどうやって担当作品をアピールするか。売るための手法が増えた結果、それに伴う作業が飛躍的に広がりつつあります。
──作品を売るために出来ることが爆発的に増えた結果、「作品が出来る前」の比重が相対的に下がったということですね。
いや。今はまだ。これから急激にそうなっていくだろうということです。編集者の仕事は本来の「作品が出来た後」に回帰しているんです。それはある意味正しいことなんですが、でもみんながそうなっていくと、今度はまた編集者、編集部の差を決めるのは、結局打ち合わせだ、ということになるだろうとも思います。同じクオリティの料理を出すレストランならどこが一番接客がいいか、最終的にサービスが勝敗を分けることになります。理想としては作品が出来る前から出来た後まで、業務全体を高いクオリティでこなすことでしょうけど。
打ち合わせをしっかりやれば作品のクオリティは上がりますし、結局のところ、マンガを面白くすることが最大のプロモーションですから。本当に強烈に面白いものをつくれたら、ほっといても売れますからね(笑)
『Dモーニング』の挑戦と雑誌の存在意義
——編集者の仕事が変わりつつあるなかで、島田さんは編集長として『モーニング』の編集方針についてどう考えていますか。端的に言えば、何を雑誌に載せるか決めるのが編集長の仕事です。
今はマンガを描く側からすれば発表する媒体はいくらでもあるし、読む側からすれば見に行く媒体はいくらでもある。編集側はむしろ何を載せないかが大事だとも言える状況かもしれません。そもそも雑誌というものにはどんな存在価値があるかを考えないといけない時代にもなってきましたが。
全然違うモノが詰まっていながら、なぜか全体の統一感があるのが雑誌というもの。言語化できないひとつの思想のようなもののもとに記事なり創作物なりがが集まっているもの。それがたぶん雑誌の一番プリミティブな存在意義なんです。『モーニング』は雑誌なのだから、全然カラーの違う作品を載せていった方が良いと考えています。
編集者というのはまさに「編んで集める」存在なのです。集めるだけじゃ全然クリエイティブじゃないと思われるかもしれないですけど、A・B・CをB・C・Aと並べ替えることは、それ自体創造的行為なんです。何をどう並べるかでまったく違うものが現れる。そう考えたら麻雀の役と同じだけどね(笑)。そのマジックの価値を、編集者はもう少し認識しておいたほうがいいと思います。
——昨年5月から『モーニング』最新号とほぼ同じ内容を月額500円で配信する携帯アプリ『Dモーニング』を展開されていますが、現在の手応えはいかがでしょうか。
いま『Dモーニング』はすごく重要なものになっていますね。紙の『モーニング』の部数が下がる分を埋め合わせるぐらい伸び続けています。それだけでもたいしたものですけど、『Dモーニング』が本当に電子媒体として定着するのであれば、現在の微増傾向からどこかでもっと急激な上昇カーブを描くと思ってます。紙の『モーニング』の読者との合計で、一週間単位で「モーニングの作品」に触れる人の総数は増やしていけると思ってます。
一方では、『少年マガジン』がDeNAさんに協力する形で始まった『マンガボックス』のように、無料でマンガを読める携帯アプリの世界もどんどん広がっていますね。そこでは編集方針よりもむしろスケールメリットが重要で、作品数がたくさん揃うことに意味があるモデルに思えます。ただそうなると、たくさんの作品のショーケースになりがちで、そこが雑誌である『Dモーニング』との決定的な違いです。
もう無料じゃないと人が集まらないという発想に流れると、すごく根本的なことを見誤ると思います。無料で大量に人を集める場所と、あくまで有料で何かを体験させる場所と、どっちも必要でしょう。WEBでアンチ雑誌的な存在があるほど、雑誌の価値もより明解になる気がします。
今は電子書籍もネット書店もあるので、本は家から出なくても買えます。個々の作品にしか興味がないのなら、リアル書店に行く必要はどんどん減っていくのかもしれない。いろんな電子媒体でバラ売りされているコンテンツにしか用がないなら、『モーニング』という「場」は必要ないという発想もそれに似ています。そうではなくて、雑誌はやっぱり全体でひとつのテーマパークなんです。個々の作品にも価値があるんだけど、『モーニング』というテーマパーク全体を楽しんでもらう。そこで何を遊ぶか考えたり、その場に行くことによってできる体験をどれだけ上手く提示できるかなんです。
その中の一本から新人が育っていくんです。拙くても、人気を取れなくてもいい。『モーニング』に遊びに来た読者の目に鍛えられることによって、その新人が嘘のように成長していく。ただ作品数を揃えるだけだと、一部の人気作品とまったく見られない大量の作品に分かれがちで、見られないものは育ちようがないんです。
読み切り企画「REGALO」
——現在展開中の一年間毎号掲載の読み切り企画「REGALO」も、雑誌としての『モーニング』を盛り上げていますね。
よく雑誌には10%ぐらいの違和感が必要だと言われますよね。「REGALO」はある意味その違和感として、『モーニング』というテーマパークの新たな魅力を広げる装置になって欲しいんです。
雑誌に載った作品は、どんな作品でもその雑誌らしく見えるものですけど、むしろ全然『モーニング』らしくなくていいから、ベタッと一点だけ誌面にアクセントを付けたいんです。
そのためには月に一本じゃダメ。1年毎号、年間50本となると、それだけの数の作家さんを集めるだけでたいへんで、否応なしにあらゆるタイプの作家さんに声をかけさせていただくことになる。次に何が出てくるかまったく予測できない。そこの脈絡のなさが面白いんですよ。
もうひとつ、読み切りの楽しさを再提示したいという思いもありました。雑誌を単行本の母体として見るようになってきたことで、やっぱりいろんなことが詰まらなくなってきてると思うんです。昔は雑誌に読み切りがよく載っていて、確実に雑誌を買う楽しみになっていました。タイトルを覚えてなくても、子供のころに読んで、今でもすごい印象に残っている読み切りが結構あるんです。昔たしか『モーニング』でこんな漫画読んだよねという、読んだ感覚だけが一生残ってるのがいいと思うんです。やっぱり雑誌は体験を与えるメディアですから。
プロは社会に奉仕する存在
——雑誌に載ることで新人が嘘のように成長するという話がありましたが、やはり商業誌とアマチュアの世界には本質的な違いがあるのでしょうか。
普通の人間が努力を重ねて面白い作品を描くために、まずなによりも必要なものがプロ意識なんです。自分の素のままで通用するような天才性がなくても、今読者は何を求めているか、何とかして多くの人に楽しんでほしいと考える。その姿勢がすごく重要なんです。そうやってマンガに興味がない人まで楽しませようと努力してきたから、マンガはこれだけバイタリティがある世界になったんです。商業誌は天才作家だけの世界ではなくて、やっぱり泥臭い努力にも支えられているんです。
世の中よく出来ていて、これからはとても上手いアマチュアを世間にプロモーションして読者を獲得するのも編集者の仕事になっていくと思う。もちろん素晴らしいことですけど、それは何十万人の読者を抱えたアマチュアを作ることでもあります。それだけしかなくなって、マンガがマンガ文化を大好きな人の中でしか回らない娯楽になると、すごく狭い世界に閉じていく気がします。
プロにならなくてもアマチュアとしてマンガを描くことを一生楽しめるようになったのは本当にいいことですよね。それは文化の成熟で、日本のマンガは本当に大したものだと思います。
自分の好きなことを自分を好きな読者のために描くアマチュアと、不特定多数の読者に対して注文に応えて描くのが前提になるプロと、一見すると真反対の姿勢に見えますけど、どちらもとても重要です。
——マンガの世界を既存のマンガ読者の外側へ、社会全体へと広げていくのがプロの役割ということでしょうか。
よく社会の歯車という言い方をしますが、プロフェッショナルというのは、自分が社会の一員だと自覚すること、大いなる全体の一部であることを自覚し、それに誇りをもつことだと思います。
商業誌で連載するということは、作家がいて、出版社があって、取次や書店があって、読者がいて、そのサイクルの中に加わることなんです。特に週刊誌は自分より読者のために描く雑誌という側面が強いです。自分は誰かの力によって動いているし、自分が動くことでまた何かが動いていく。自分が動かないと必ずどこかで齟齬が起きる。誰かのために辛い思いをしてでも働くのが職業意識だとしたら、そこから生まれる美学や存在価値が確かにあるんです。大きな社会のシステムに加わることは実はものすごいことで、その価値を認識している存在がプロだと思います。やっぱりプロが減っていくと世の中ダメになるのかなと思います。
ただ、昔ほど苦しい思いをしなくてもそこそこの生活ができる世の中になっていくことで、マンガ家に限らず、「職業」とか「プロ」とかいう言葉の意味が微妙に変わりつつあるのかもしれませんね。
長い目で見て、ベーシッククインカム(※)のような制度が発展したら、30年後とか50年後とかには「プロ」という言葉がなくなっている可能性もあります。だからいま、「仕事ってそもそもなんだろう?」っていうことが、とても大きいテーマだと思う。
※生存権に基づく最低限度の生活の保障として、政府が国民に現金を定期的に支給する政策。
——『モーニング』の読者層はサラリーマンが中心だと考えると、大事な視点になりますね。
『モーニング』は基本的に大人の男性がメインターゲットですが、自分と同年代の40代の男性を満足させるマンガって、他誌を見渡しても意外と少ないんですよね。
マンガに限らずに、小説、映画、テレビドラマ、みんな女性向けが多いのは「女性が買わないとヒットしない」と言われているからなんです。普段40代の男性が買うのは新書かビジネス書ぐらいで、フィクションを読む人はどんどん減ってきている。だけど40代以上の男性って、一番人口がいて一番可処分所得が多い、眠れる大市場なんです。だから彼らを振り向かせるマンガを作りたい。難しいことですが、やっぱりそれはやらなきゃいけないんです。
——そういう意味では、廃炉作業員の潜入ルポの竜田一人「いちえふ〜福島第一原子力発電社労働記〜」はすごい作品だと思いました。あの作品が『モーニング』の新人賞に応募されたのも、雑誌としての実績があってこそだと思います。
「いちえふ」は生々しい現場のライブ感があって面白いですよね。あの作品に大賞を与えて載せられるのも、非常に『モーニング』らしいことなのかもしれない。
マンガって実はすごくドキュメンタリーに向いてるんです。再現ドラマのような手法では、実際に起きた事故の映像記録に見劣りしてしまいます。でもマンガであれば、出来事の雰囲気や感情を本当に見てきたように描くことができるんです。文章でドキュメンタリーを書ける人はいますけど、福島第一原発の現場にはいませんでした。だけどマンガ家はいた。それは奇跡的な天佑だったと思います。
創作にはいま何万部売れるかという同時代の勝負と、何年後まで読まれるかという時間軸の勝負があります。文学でいうと、100年前に書かれて、今も本当に普通に読まれているのは漱石と鴎外ぐらいでしょう。どのマンガが100年後に読まれているのか、想像するのはかなりむつかしい。私は実は「いちえふ」こそが100年後にも普通に読まれている可能性がもっとも高いマンガなのではないかと思っています。
編集者に特別な才能はいらない
——『モーニング』がヒット作を生み出し続けられるのは、編集部の実力の証明だと思うのですが、何か編集者を育てるための具体的な取り組みをされているのでしょうか。
ありがとうございます。でも編集力という概念はとても曖昧なものです。伝えるのも身に付けるのも非常にむつかしい。
たしかにネームの見方や作家さんと付き合う作法など、技術としてマニュアル化していける部分はあります。「マンガは教えられないもの」という意見も根強いですが、技術であれば理論化して第三者に伝えられるはずなんです。そういう「技術書」をつくることは、マンガ業界全体の課題としてあると思います。誰かが本腰を入れてつくるべきです。
それでも、マニュアルで括れるのはやっぱり全体の3割程度で、残りの7割は現場で見て覚えるしかないでしょうね。
編集者には特殊な才能があると思われがちですけど、ひとりひとりの作家さんの執念に誠意を持って向き合って、どこまで泥臭い労力を注げるか、それだけだとも思うんです。
——作家さんだけでは辿り付けない段階まで作品を引き上げるのが編集者の役割というイメージがありました。
正直、そこまでの打ち合わせができる編集者はそんなにはいないような気がする。規模にもよるが、編集部に数人いればすごいことでしょう。
でも、作家さんは、自らの発想を掘り出して整理していくために、「ただ編集者と話す」ことを必要としている部分もあるんです。朝から晩まで一日喋っていて、半分は愚痴を聞いてるだけだったり…(笑)。作家さんがモノ作りのなかで人間的に苦しんでいるときには、原稿をひたすら待って、いろいろなことを自然にフォローするのも大事な仕事です。本当に泥臭い、忍耐がいる仕事なんです。それができるだけでも、その人には編集者として本当に貴重なプロ意識があるんだと思います。
生産性や効率だけを求める経営者にしてみれば、イライラしてやってらんないと思いますよ。出版社っていうのは、そういうものを受け入れて成立させていける、すごく不思議な存在なんだと思いますよ。
マンガでプロになれば人生が変わる
——『モーニング』では、WEB応募のみの新人賞「モアイ大漫画コンペ」を昨夏に開催されていましたが、打ち合わせ以前に新人獲得に求められるコストが増えつつあるのでしょうか。
昔は新人賞の応募を待っているだけでしたが、WEBを中心に様々な媒体が増えたことで、今はどの雑誌も自分から新人を探してスカウトする時代になっています。新たな窓口のアピールは当然必要ですし、常にアンテナを張ってないといけません。コミティアさんの出張編集部は『モーニング』としてもなくてはならない存在です。
新人に限らず、昔から他誌の作家さんに声をかけるのが上手い編集者がいて、彼らがヒットメーカーになることは多くありました。WEBの時代になっても同じことで、個々の編集者がそれぞれ芽が出るポイントを見極める眼を磨いているのだと思います。
——個人がWEBで発表した作品が人気になって、そのまま商業出版される例が増えていますが、特に若い作家さんの場合、編集者と組むことのメリットを自覚しにくい面があるかもしれません。
なぜわざわざ出版社を通してモノを作るのか。そこは重要なことですよね。
一番表層的なところでは、やっぱり出版社と組んだほうがプロモーションは桁違いに楽です。単純により多くの不特定多数の人にいろんな形で伝えていくなら、プロにならないと難しい。電子化して出来ることが増えても、個人の作業量には限界があります。
本質的なところでは、やっぱりプロになること自体に価値があるんだと私は思っています。歯車のひとつになることでしか触れられない真実が間違いなくあって、それはとても価値のあることなんです。
個人的な体験としても、プロの編集者として仕事を始めたことで、それまではまったく気づかなかった自分の本質が、本当に良くも悪くもよく分かるようになりました。
他でプロの仕事をなさっていて、趣味でマンガを描くのも素晴らしいことです。ただ本当にマンガが好きなら、プロになるべきだと私は思います。マンガでプロになると、まるで違う人生が待っていますよ。
(取材日:2014年3月4日)