「響〜小説家になる方法〜」マンガ大賞2017受賞記念 柳本光晴インタビュー
今年「マンガ大賞2017」を受賞した『響~小説家になる方法~』。作者の柳本さんはアマチュアの頃、コミティアにも参加していた時期もある。今回のコミティア会場で「マンガ大賞10周年記念展」が行われる縁もあり、あらためて受賞者の柳本さんに現在の創作姿勢について話を聞いた。
取材: 中村公彦、中山賢司 同席: 田中香織(マンガ大賞実行委員・ジュンク堂書店池袋本店コミック担当)
待永倫(ビッグコミックスペリオール担当編集)ティアズマガジンvol.120(2017.5.6.発行)より再録
『響』はどうして生まれたか
中村この度は『響〜小説家になる方法〜』(以下、『響』と略)の「マンガ大賞2017」大賞受賞おめでとうございます。
柳本ありがとうございます。受賞の連絡をいただいてから、ずっと「わーっ!」と言い続けていたんですが、ようやくひと段落して、今は素直に「嬉しいね」っていう感じです。
中村私は柳本さんの作品を同人誌の頃から読ませてもらって、商業デビューされてからも、段階を踏みながらすごく面白くなってきたと思います。『響』を描きはじめて、それまでの学園物の身近な世界から、世間に広がる作品になってきましたね。第1話の「小説の力で世界を変えられるような」という台詞が印象的で、これを見た時に「このマンガで何かを変えてやるぞ」という強い意志を感じたのですが。
柳本それまではシチュエーションはそれぞれ違うけれど、キャラクターとしては普通の等身大の女の子たちを描いてきました。でも『響』という初めての長期連載で何を描くか考えた時に、「圧倒的な才能」を描きたいと思ったんです。
中村『響』は「文学」をテーマにした点がすごく斬新だと思いますが、これはどうして思いついたのでしょうか?
柳本連載の打ち合わせで、当時の担当さんと意見が一致したのは物語の「軸」が必要だということ。そこで何を題材にしようかと考えた時、自分の中にこれといった引き出しがなかったんです。野球とかサッカーとか、知識や経験が必要なメジャーなジャンルは元々それが好きな人に敵わないし、かといってマイナーで奇をてらった題材ではなく、あくまで王道の物がやりたい。誰もが知るような題材でありつつ手垢が付いていない…と、ぐるぐる考えていて「文学」を思いつきました。世の中ではすごくメジャーな存在だけど、マンガではほぼ取り扱われていない。どうしてかというと簡単な話で、小説はマンガで見せられないからです。でも、自分はそこで強いキャラクターを出すことで何とか描けるだろうと考えたんです。
中村文学の世界という設定が決まって、一方で圧倒的な天才を描きたいという想いがあって、一つ一つの組み合わせがピッタリはまったんですね。その中で主人公・響のキャラ設定として天才文学少女なんだけれど、ものすごく性格が狂暴という、意表をついたアイデアはどこから生まれたんですか?
柳本正直自分の中ではそこまで無茶苦茶な感覚ではないんです。1話目で響が不良の指を折るシーンがありますが、僕はそれを軽いネタのつもりで描いていました。僕が読んでいた90年代のマンガ、例えば『らんま1/2』(高橋留美子)では、あかねがガンガン乱馬をぶっ飛ばしていましたし、それに比べたらかわいいものだと。結局どのマンガでも主人公は作者の投影にはなるので、大なり小なり自分にもこういう所があるんですね、どうやら(笑)。
中村文学がテーマだとどうしても観念的な話が多く、動きのない展開になりそうですが、響が相手を蹴っ飛ばしたり、アクティブな行動をしてくれるのが面白いですね。
柳本マンガはイベントで見せるものだから、とにかく会話劇には絶対ならないようにずっと意識していてます。
田中昔から文豪ってわりと狂人が多いイメージがあります。そういうところから思いついたのかと思いました。
柳本多分、文豪の人たちも自分が狂人だとは思っていなくて、例えば「失礼な態度を取る奴がいたから、ぶん殴った。俺は当たり前のことをしただけだ」ということだと。響も「やられたから、やり返しただけ」だと思います。ただ、彼女なりの理屈や論理の部分はかなり気を遣っています。紙一重の所でやり過ぎると話が破綻したり、マンガになり過ぎちゃったりしますから。
脇役、あるいは才能について
中村主人公を取り巻くキャラクター、文芸部の友人たちや、小説家や編集者、沢山の多様なキャラクターが出てきます。ある意味で類型的だけど、こういう人いるんだろうな、と思わせるリアリティがあります。例えば、響の才能に圧倒されて辞めちゃう小説家のエピソードは凄かったですね。
柳本才能を描く上で、才能が無い人も描きたいし、光を描いたら影も描きたくなる。おそらく物を作る人は皆、やっぱりバッドエンド的な話も描きたいんじゃないかと思います。少なくとも僕の中では、努力が直接的に報われるかどうかは分からない、かといってそれは決して無駄じゃない。そういう努力が出来た人だからこそ、夢が破れても別の道で幸せを見つけられたりする話として描きました。『響』のテーマの一つとして、「才能があるから、じゃあそれが幸せなのかどうか」というのがあります。才能というのは理屈抜きで人を惹き付けますが、そこに溺れる人もいれば、一方で全く気にせず生きていく人もいるでしょう。
田中私は1巻を読んだ時は「何だ、このクソ生意気な女子高生は」と思ったんですが(笑)。彼女なりの論理、理屈が明確に描かれるようになったのは2巻以降というイメージです。ご自身の中での変化はありましたか?
柳本今もそうなんですけども、正直ずっと手探りでやっています。でも連載を続けてマンガの描き方がちょっとずつ分かってきた感じはありますね。大きかったのは担当さんから「カタルシスを意識しましょう」というアドバイスがあって、なるほどと。ギュッと抑圧して一気に解放するっていう描き方を2巻辺りから意識するようになりました。響のキャラクターはこれからも変わらないですが、周りの登場人物が増えて、響が触れる世界が広がるにつれて、読者にも彼女の中のルールが徐々に見えてきているのかも知れません。
出版業界と賞について
田中私が『響』を面白いと思った理由の一つは、自分が出版業界にいるせいもありますが、直木賞・芥川賞がこんなに面白くて凄い賞だったんだ、というのを初めて実感したことです。もちろん、両賞の世間的な価値は分かっていますし、予想販売部数といった仕事的な換算もあるんですけど、賞を狙うとか、賞の重さといった、自分の中ではとっくに失われてしまったワクワク感があったんです。
柳本賞のエピソードも、発表を待つ側の人たちの視点でしか描いていないんですが、そういう人たちのドラマが好きですね。
中村売れない小説家たちの描写がリアルで、例えば土方をやりながら小説を書いている作家に、「身近なところで開眼しちゃったなあ」みたいなことを編集者が言うじゃないですか。このエピソードも凄いと思いました。
柳本僕も何だかんだで歳を食っているので、今まで周りでもそういう人を散々見てきましたし、自分でも何度も思いました。「マンガの全てが分かった」って(苦笑)。でも本当は全部勘違いなんですよね。あと僕の性格がサディスティックなんだろうけど、そういう風に努力に努力を重ねて、勘違いを何度も繰り返して、ようやくたどり着いたものが、圧倒的な才能に蹂躙される姿は見ていて気持ちがいいですね。理屈じゃないです。
田中柳本さんが響にしか見えないですね(笑)。でも、響が勘違いしている人を馬鹿にしないのは偉いなと思いました。
柳本そうなんです。失敗しようが勘違いだろうが、目指そうとする姿は綺麗だと思うし、そうしたものを積み重ねて積み重ねても、圧倒的な才能には敵わない…結局、才能ってそういうことですよね。ただ、響はそこに悪意は持っていないし、そういう現象が世の中に存在するというだけで、他人の努力には敬意を払います。
編集者の役割について
中村プロのマンガ家として、編集者の存在が不可分な所があると思いますが、柳本さんにとって、編集者とはどういう存在ですか?
柳本自分のアイデアを引き出してくれる人ですね。何をやるか考えるのは多分、僕の方が得意だと思うので、それを引き出してもらいたい。あと、描いていると周りが見えなくなる時があるんです。例えば「響が芥川賞・直木賞を取りました。じゃあ次はノーベル賞だ!」って僕が言い出したら、「いや、飛躍しすぎじゃない?」って、非現実的なアイデアを軌道修正してもらう感じです。
田中柳本さんは天才肌っぽいんですけど、人から意見されることは嫌じゃないんですね?
柳本例えば「こういうキャラを出してこういう展開しろ」って言われたら、「だったら貴方が描きなよ」って思うんですが、自分の中のアイデアを引き出してくれるとか、選択肢を提案してくれる分にはいいんです。それで、自分がいいなと思ったら使いますし。色々言ってくれる分には全然問題ないです。
編集者と書店員から見た『響』
中村待永さんには編集者としての作品への関わり方を教えてもらえますか?
待永自分は途中からの担当ですが、連載当初から『響』を面白いと思って読んでいました。ただ、思っていたよりもセールスが伸びていなくて…。でも引継ぎの時に前任の担当と編集長から、「『響』は柳本さんが納得できる所まで描いてもらう」と編集部としての方針を伝えられました。ですので今の自分の役目は、我々が考える数字まで販売部数を引き上げることですね。作品の肝は「響がいかに行動して、それが読者に気持ち良いか」だと思うので、そこを上手くアピールしようと販売や宣伝の担当と話をしています。
柳本さんご自身はあまり取材をしない方だと言いますが、もちろん最低限の取材はきっちりされていて、自分は逆にその方が良いと思っている所もあります。取材をしてガチガチにリアリティを追求すると、響の行動も抑制されてしまう。響がナチュラルに破天荒な行動をするところが、読者の予想を超えてくる面白さがあります。柳本さんは取材をしても勘所だけガッと捕まえると、そこから柳本さんなりのリアリティを作っていくので、基本は自由に描いてほしい。担当としては、ネームを読んで、響の行動が伸び伸びしているかどうか、それを自分の中で面白いと思えるかどうか、を伝えるようにしています。
中村田中さんは、書店員の立場で『響』をどう売ろうと考えましたか?
田中1巻が出た時、正直「女の子がムッとしていてあまり可愛くないな」と思いつつ、でも印象に残る表紙だったので、うち(ジュンク堂書店)のお客さんは好きだろうなと思って、面(表紙が見える並べ方)で棚に置いたら、ずっと売れていました。2巻が出た時は「女の子は可愛くなったけど何のマンガか分かりにくいなあ」と。で、3巻が出た時に「良い表紙が来たな。並べ甲斐があるわ!!」と思ったんです。
柳本1巻、2巻とも表紙の評判があまり良くなくて悩んでいました。3巻は文学っぽい雰囲気にしようと思って、僕の中に「文学=セーラー服」というイメージがあったので、それに桜を描いて、黒とピンクの組み合わせにしたらようやく良い出来になりました。
田中基本的に弊店では、本にまつわる作品は売れるんです。文芸とか小説家とか図書館とか、そういった文字が入ると問答無用で注文を数冊上乗せしたりする。『響』の場合は、副題に「小説家」と入っていても内容が良く分からない所があったんですが、1巻が出た後ずっとするする売れていて。2巻で芥川賞作家の西村賢太さんの帯が付いて、文芸の人が食い付くんだな、と思いました。3巻が出て、良い表紙が来たと思ったら、一緒に1~2巻も売れてくれました。店ではこれからも平積みで売り続けたいな、と思っています。
「世界を変える」ということ
中村先程紹介した「小説の力で世界を変えられるような」という言葉について、柳本さんの中で「世界を変える」というのは大切なイメージなのかな、という気がするのですが。
柳本圧倒的な才能は世界を変えると思うんですね。音楽とか小説でも、世界中の人たちがその影響で何かを感じたり動くことがある。例えばマンガなら『ドラゴンボール』のような一時代を築いた作品があって、世界中にそのキャラクターだけでなく、日本のコミック、アニメを広めた後もいまだに作品が続いています。でも「世界を変える」ということに関しては、まだ自分もイメージが固まっていないです。『響』は描きながら自分の中でコントロールがあまり利かないというか、響やその周りのキャラたちが、「こう動くだろう」とか「こう動いたら世の中がこうなるよな」という流れで描いているので、自分でも今後どうなるか、話が進んでみないと分からないんです。
中村響の書いた小説はまだ一作しか世に出ていないけれど、それを読んで色々な人の人生が変わってきていますからね。これからが楽しみです。
同人誌時代
中村同人誌の頃の話も伺いたいんですが、だいたい何年間くらい活動しましたか?
柳本10年くらいですね。始めたのは、東京に出て来て大学の漫研に入った時で、初めてコピー誌を出しました。最初は全然売れなくて3年くらい売上0冊だったような記憶があります。それから『涼宮ハルヒ』の二次創作である程度やりたいことをやれたので、次はオリジナルを描くことにして、コミティアに出たんです。
中村その頃から将来はプロになるという目標はありましたか?
柳本そうですね。僕は自分の人生を人に預けたくなかったんで、編集者に頼らないマンガ家になろうと思っていました。だったら最初から自分でもある程度納得できるマンガが描けるようにならないといけない。そう思って腕を磨くつもりで同人誌をやっていました。
中村なるほど、ちゃんと目標を持って活動をされていたんですね。
柳本はい、最初から方向は決めていました。同人誌で始めて、商業デビューして、まず読切を何本か描き、1巻分で完結する短期集中連載をやって、それから本連載だな、という風に自分の中で計画を立てたんです。結果として予定通りにはなったんですが、トントン拍子と言うほど順調ではなかったですし、随分と時間も掛かりましたね。
そしてこれから
中村これからの話も伺いたいんですが、柳本さんはマンガというジャンルやマーケットが今後どうなっていくと思われますか?
柳本ネットとの付き合い方で、マンガは今すごく過渡期ですね。しばらくは紙とデジタルとが共存するでしょうけれど、時代がデジタルになったら勿論仕事なので合わせざるを得ないけど、マンガの見せ方が全く違ってくるのであまり自信は無いです。しかし紙が無くなるとしたらそれは淘汰なので、世の中の人に必要とされないものを無理に提供することもない、とも思うんです。でも、やっぱり紙の雑誌は無くならないで欲しいですね。
田中マンガ大賞を続けていて私個人が誇りに思うのは、受賞者が全員、今もマンガを描いてくださっていることです。10年間で居なくなった作家が誰もいないんです。
柳本そう、だから凄いなと。しかも、皆が皆、ステップアップしているような本物の作家しかいないですよね。過去の受賞作に比べたら『響』はマイナーかも知れませんが、これからもっと面白いマンガを描いて、他の方々と肩を並べられるように頑張ります。
カットは全て(c)柳本光晴「響~小説家になる方法~」(小学館)より
(取材/2017年3月15日)
「響〜小説家になる方法〜」作品紹介
文芸誌『木蓮』の若手編集者・花井ふみは、小説の力で世界を変える新人作家の出現を渇望している。彼女はある日、編集部のゴミ箱で一通の封筒を発見する。それは、新人賞の募集要項が守られておらず、未開封のまま打ち棄てられていた直筆原稿だった。その「お伽の庭」と題した作品を読み、衝撃を受けた花井は、新たな天才の出現を確信する。しかし、作者名の「鮎喰響」以外のプルフィールは一切不明。新人賞選考に向けた準備を進めつつ、響とコンタクトを取るため花井は奔走する。一方、響は高校に入学し、著名作家の娘・祖父江凛夏が部長の文芸部に入部するが、マイペースで妥協をしない性格が時に過剰とも思える言動につながり、周囲と軋轢を生んでいた。しかし、圧倒的な文才と純朴な人間性が、関わる人々を次第に魅了していく。やがて、親友となった凛夏を介する形で、花井と響は運命の対面を果たす。
花井の尽力もあり、響の「お伽の庭」は審査員から高い評価を受け『木蓮』新人賞を受賞。授賞式での過激なパフォーマンスも相まって、一躍、文壇で注目の的となる。また、凛夏も時同じくして作家デビューを果たし、処女作は大ヒットを記録。響をライバル視するが、芥川賞には届かず涙を飲む。ところが、響の「お伽の庭」は芥川賞だけでなく、直木賞の候補にも選ばれ、史上最年少、15歳でのWノミネートという快挙を達成。両賞の行方に注目が集まる。
柳本光晴氏初の長編で、'14年より『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて連載中。単行本は第6集まで刊行されている。