過日、コミティアのイベントカタログ『ティアズマガジン』の印刷で長年お世話になっている同人誌印刷会社の緑陽社さんの会社見学会に参加してきました。
折角のお声がけだったので、コミティアに参加する作家さんや知り合いのマンガ編集者、図書館司書の方など、興味を持ってくれそうな方もお誘いしました。たとえて言うなら「大人の社会科見学」。普段は同人誌や商業誌で本作りに関わっていても、実際の印刷現場を見るのは初めての人が多く、皆さんとても楽しんでくれたようです。
「品質」をモットーとする緑陽社さんの企画だけに、高精細印刷に関するレクチャーから始まり、工場では作家さんが事前入稿した「おためし本」の印刷から製本までを目の前で見せてもらい、大いに盛り上がりました。皆さんのレポートや感想は、ツイッターのハッシュタグ「#緑陽社見学会」でご覧ください(見学会は来年より定期開催とのこと)。
ガイド役の社員さんは若手が中心でしたが、印刷の素人にも判りやすい説明を心がけてくれました。また話の中で何度も「こだわり」という言葉が出てきて、自分の仕事にプライドを持っている様子が伝わってきました。
特殊加工に強いのも同社の特徴。凝った同人誌の印刷見本をいくつも見せてもらい、製作時の苦労話を聞いていると、描き手のアイデアのユニークさや本作りへのこだわりに驚くと共に、本造りのプロとして難しい注文にも丁寧に応じる姿勢に感銘を受けました。
意外だったのは、オートメーション化された作業行程の中に、思った以上に人力や職人の技能が必要とされる部分が残っていたこと。けれどそこにこそ、「同人誌印刷」という多品種少ロット生産の特性に対応する鍵があるように感じました。
実はこのポイントに、今回の見学会に現役のマンガ編集者の方を誘った理由があります。
商業誌の世界ではかつて数百万部も出ていたマンガ雑誌も数が少なくなり、コミックスの最低刷り部数も底が割れたように、数千部の時代になりました。だんだんとちょっと多い同人誌の部数に近づいています。その一方「時代は電子書籍」とばかりに、出版社はその体制から大きく舵を切ろうとしています。19年には電子書籍の売上が紙の本の売上を抜くと予測されているので、当然のことでしょう。
電子書籍の特徴は「物理的に存在しない」こと。だからこそ在庫管理や物流面のコストがかからない、ある意味で「夢の商品」です。読者にとっても「本の置き場に困らない」という大きなメリットがあります。それでは「紙の本」はもう不用品なのでしょうか。私はそうは考えません。それは自分も含めて、多くの人には「物(パッケージ)へのこだわり」という所有欲があると感じるからです。本を手に持って、広げて、読むという行為は、その視覚から触感も含めて、時間をかけて表現に最適化されたもの。その価値はそう簡単には無くならないはずです。
また、「紙の本」ならではの装幀や意匠には、それこそ15世紀のグーテンベルグの印刷革命を含めて、千年以上の歴史があり、その過程で多くの人の手によって工夫され、磨かれ、蓄積されてきた「用の美」が存在します。それは小さな例ですが、緑陽社さんで見た工夫を凝らした同人誌たちにも通じることです。
10年後の未来に、電子書籍が世間の標準になっていたとしても、少ない部数であれ「紙の本」は残り続けるでしょう。一般的な商品より少し高価かもしれないし、その分さまざまな凝った意匠を施しているかもしれない。それはまさに現在の「同人誌」の写し絵のようにも思われます。かつての大部数を前提にした物流システムが崩れつつある中、小部数ならではの本造りと売り方もセットで考える時代がすぐそこに来ているのではないでしょうか。
もう一つ気になるのは、電子書籍の時代に「編集者不要論」をよく聞くこと。出版社という組織そのものが変わろうとしている時に、本当にその人的コストは必要なのか? 編集者の役割とは何なのか? その存在理由が問われているのは確かです。他方、WEBが作品発表のベースになると、閲覧数などが可視化されて、作品の価値よりも「バズれば勝ち」としか考えないような即物的な出版傾向はさらに増したように思います。それに振り回される作家が多いのも心が痛みます。本当にそれで良いのかは、まずキャリアのある編集者にこそ考えてほしいことです。
この大きなパラダイムシフトの時代に、これまでの、そしてこれからの出版人たちが何を考えるのか。過去のノウハウの何を残し、何をアップデートすべきなのか。それを考えるきっかけになればと感じた有意義な「社会科見学」でした。
最後になりましたが、本日は5111のサークル・個人の方が参加しています。
思い起こせば10年ほど前、電子書籍が流通し始めた頃に「即売会不要論」が言われたこともありました。今となっては、人と人が出会い、「本という実体」を通してやり取りする、リアルな作品発表の場としての同人誌即売会はむしろ重要性を増したように思います。「生産性が低いところに熱狂は宿る」という言葉もあります。今日という日に私たちを熱くさせる出会いがあることを心から願っています。
2019年11月24日 コミティア実行委員会代表 中村公彦