馬かのこ・酉村ダイオウイカ
- <馬かのこ>
- 職業…漫画家
- 趣味…姉弟作品、ゲーム、スライム
- コミティア歴…6年
- https://www.pixiv.net/users/1406861
- <酉村>
- 職業…漫画家
- 趣味…どうぶつの森
- コミティア歴…6年
- https://www.pixiv.net/users/7021470
「お互いに狂わせ合ってる」とは、二人組サークル「ダイオウイカ」のマンガ家コンビ、酉村さんと馬かのこさんが自身たちを評した言葉だ。そこには長年の親友でライバルであると同時に、互いに「先生」と呼んで敬意を払う、強い信頼関係が垣間見える。
自らを「ビビり」という酉村さんは理論派のストーリーテラー。十八番は仄暗いファンタジーだ。怪奇や悪意をスパイスに、読者の背筋を震わせる物語を紡ぐ。商業誌では「狼の子ソラは戦場にいる」(くらげバンチ)を連載している。
一方の馬かのこさんは天才肌の直感派で、王道のドタバタ劇が得意。小粋で素っ頓狂なキャラたちのバトルやラブを明るくキャッチーに描く。現在は「ダイガクちゃん×はいすくーる!」(ドラゴンエイジ)を連載中だ。
出会いは高校時代。同級生で美術部同士、互いにタイプの違いを感じて惹かれ合っていった。部活の顧問の先生や先輩の影響を受け、卒業後はそれぞれに大学へ進学し、芸術系の学部で学んだ。
それまでマンガを描いていなかった二人がマンガに目覚めたきっかけはコミティアだ。大学在学中の13年、酉村さんが馬かのこさんを誘い、ファンだった二人組サークル「0丁目」をお目当てに一般参加する。その時の会場に満ちた創作の熱が「マンガを描きたい」という刺激になり、自身たちもコンビでサークルを結成して翌年に初参加した。参加を続けるうち、マンガを描く楽しさに夢中になっていく。気がつけばどちらともなくマンガ家になると決意していた。その原動力のひとつになったのが出張編集部だ。
馬かのこさんは初参加時から出張編集部に積極的に持ち込み、17年に「魔王立中ボス養成アカデミア」(コミックアース・スター)で商業デビュー。「酉村先生が考えてくれた『ばかのこ』のペンネームのように身の程知らずに突き進んだ」という。
一方の酉村さんも馬かのこさんに強く勧められ、気後れしながらも出張編集部に挑戦。先にデビューした馬かのこさんに対して「死ぬほど悔しかった」という思いを抱きつつ、画風の刷新から研究を重ね、19年には『くらげバンチ』での連載を勝ち取った。
自身たちの作風と活動を、酉村さんは「違う作風で、互いの作品に口を出さない方が長続きすると思ってました。馬かのこ先生は昔から絵が上手くて勝てない。コミティアで通りすがりの人は先生の表紙を見てやってくるんです」と話す。馬かのこさんは「逆に私は感覚や雰囲気しか読み取れないので、酉村先生のセンスと教養には勝てない。読者から貰った感想を頼りに、自分の強みをつかんできました」と語る。
「馬かのこ先生は永遠のライバルで師匠」、「酉村先生は元からの才能に満足せずに努力していて憧れる」と認め合う今日に至るまで、思いもよらない影響を与えあってきた二人。「狂わせ合い」の先にはこれからも、想像を超える未来を見せてくれるはずだ。
自らを「ビビり」という酉村さんは理論派のストーリーテラー。十八番は仄暗いファンタジーだ。怪奇や悪意をスパイスに、読者の背筋を震わせる物語を紡ぐ。商業誌では「狼の子ソラは戦場にいる」(くらげバンチ)を連載している。
一方の馬かのこさんは天才肌の直感派で、王道のドタバタ劇が得意。小粋で素っ頓狂なキャラたちのバトルやラブを明るくキャッチーに描く。現在は「ダイガクちゃん×はいすくーる!」(ドラゴンエイジ)を連載中だ。
出会いは高校時代。同級生で美術部同士、互いにタイプの違いを感じて惹かれ合っていった。部活の顧問の先生や先輩の影響を受け、卒業後はそれぞれに大学へ進学し、芸術系の学部で学んだ。
それまでマンガを描いていなかった二人がマンガに目覚めたきっかけはコミティアだ。大学在学中の13年、酉村さんが馬かのこさんを誘い、ファンだった二人組サークル「0丁目」をお目当てに一般参加する。その時の会場に満ちた創作の熱が「マンガを描きたい」という刺激になり、自身たちもコンビでサークルを結成して翌年に初参加した。参加を続けるうち、マンガを描く楽しさに夢中になっていく。気がつけばどちらともなくマンガ家になると決意していた。その原動力のひとつになったのが出張編集部だ。
馬かのこさんは初参加時から出張編集部に積極的に持ち込み、17年に「魔王立中ボス養成アカデミア」(コミックアース・スター)で商業デビュー。「酉村先生が考えてくれた『ばかのこ』のペンネームのように身の程知らずに突き進んだ」という。
一方の酉村さんも馬かのこさんに強く勧められ、気後れしながらも出張編集部に挑戦。先にデビューした馬かのこさんに対して「死ぬほど悔しかった」という思いを抱きつつ、画風の刷新から研究を重ね、19年には『くらげバンチ』での連載を勝ち取った。
自身たちの作風と活動を、酉村さんは「違う作風で、互いの作品に口を出さない方が長続きすると思ってました。馬かのこ先生は昔から絵が上手くて勝てない。コミティアで通りすがりの人は先生の表紙を見てやってくるんです」と話す。馬かのこさんは「逆に私は感覚や雰囲気しか読み取れないので、酉村先生のセンスと教養には勝てない。読者から貰った感想を頼りに、自分の強みをつかんできました」と語る。
「馬かのこ先生は永遠のライバルで師匠」、「酉村先生は元からの才能に満足せずに努力していて憧れる」と認め合う今日に至るまで、思いもよらない影響を与えあってきた二人。「狂わせ合い」の先にはこれからも、想像を超える未来を見せてくれるはずだ。
TEXT / TAKASHI MENJO ティアズマガジン134に収録